『いつも通りの日常』
心掛けなければいけないのは、ただその一点だけでした。
2022年1月12日水曜日。
それはいつもと同じ、平日の朝でした。
私はいつもと同じように朝5時に起き、三人分のお弁当を詰め、朝食を作り、家族を起こして掃除をします。
息子、タロウは気だるげに起き、これまたいつものようにモソモソと朝ごはんを食べ、寝癖を整え歯磨きしました。
「行ってらっしゃーい」
「行ってきます」
制服に着替えたタロウを玄関先で見送ると、さっと部屋にいる夫に視線を走らせます。
ここまでは大丈夫──。そっと唇を噛んで気を引き締めました。
「じゃあ、私も行ってくるね」
身支度を整え、お弁当をバックに入れながら、ともすれば上擦りそうになる声を抑えてそう言います。夫が、
「おぉ」
とこちらも見ずに応えました。
それが、夫婦で交した最後の会話となりました。
玄関のドアを開けると、見上げる空は快晴、真冬の切るように冷たい風が頬をなでていきました。
いつもならばこのまま出勤です。
ですが、今日は違いました。
一旦マンションの外に出て、非常階段を使って戻ると部屋の隣で身をひそめます。
まだかまだかと、この時間は何十分にも何時間にも感じられました。
ガチャ、とドアの開閉音がします。
来た、と私は一層息を殺しました。
遠ざかっていく足音を耳にし、ようやく通路を覗き込み、夫の後ろ姿を確認します。夫の乗り込んだエレベーターが一階で止まった後も、ゆっくり30秒を数えました。忘れ物に気付いて戻って来る可能性も考慮したのです。
夫が戻ってこない事を確認し、ようやく私は携帯電話の呼び出しボタンをプッシュしたのでした。
「タロウ? 行ったよ」
『はーい。じゃあ、いよいよ作戦開始だね』
息子が、のんびりした声で応じてきたのでした。
私と息子は、さっき出たばかりの玄関ドアを開け中に入ると、大急ぎで荷物を纏めました。もちろん、事前の荷造りなんて出来ていません。
仕事に行ったとはいえ、新型コロナウィルスの影響で仕事量が減産しており、午前中のうちにフラっと帰って来る恐れもありました。
恐怖心と焦りとで、思わず手が震えてしまいます。
そうして纏めた私達の荷物は、貴重品と僅かばかりの身の回り品、学用品のみ。家具も家電も持って出る余裕はありません。コートやセーター、お気に入りの食器類も全て諦めました。
17年間の結婚生活の、私の荷物はたったこれだけなのか…。
荷物をトラックの荷台に詰め込みながら、半ば放心状態でそう思いました。
ああ、でも。
セローがある。
私は一台のオフロードバイクを見遣りながらそう思いました。
私の唯一の財産、私に許された、ただ一つの贅沢品。
私の愛車、セロー。
「どうかしたの?」
その、約3年前──。
2019年4月23日の朝。私は夫の顔を覗き込みながらそう尋ねました。
「いや」
別に、と目を逸らしますが、その顔面は蒼白で、とても何事もないようには見えません。
これは何かある、と確信した私は、夫に仕事を休んでもらい、私自身も職場に欠勤の連絡をしました。
夫はここ数ヶ月、よく眠れず体調がすぐれないと訴え続けていました。
聞けば、職場の上司と折り合いが悪いとのこと。仕事内容があまり合わないとも零していたので、ならば転職してはどうかと持ちかけていたのでした。お金の事は大丈夫、私がパートで補えばいいのだから、と。併せて心療内科に通うことも提案していましたが、どれも聞き流されていました。
今日はその心労が臨界点に達したのかもしれない。そんなにも仕事がストレスになっているのならば、せめて休職してはどうかと、今日は強く説得するつもりでいました。
「やっぱり仕事のこと? 辛い?」
あたたかいお茶を出しながら私が尋ねると、夫はゆっくりとかぶりを振りました。
仕事じゃない? ならば何だろう。
内心首を傾げます。
「俺は…」
そこまで言うと、急に泣き出してしまったのです。驚いた私は「どうしたの?」と夫の額にそっと手を置きますが、パッと振り払われてしまいました。
「俺にそんな価値ないよ」
何がどうしたのか分からず戸惑う私。項垂れすすり泣く夫の口から、言葉がこぼれ出るのを辛抱強く待ちました。
「…借金がある」
ようやく、ポツリとこぼしました。
「え、いくら?」
「…500万」
「ごひゃ…?」
夫は経営者でもなんでもなく、年収400万の中小企業のサラリーマンです。そんな家庭において500万という数字は果てしなく膨大でした。
「何に使ったの?」
「え」
「500万も。やっぱり、スポーツ観戦?」
夫の趣味を持ち出して問い詰めるも、「いや」と目を泳がせ返答に詰まる夫でしたが、「仕事のストレスで…」とモゴモゴ呟くと、
「もう俺は死ぬしかないんだぁ!」
と顔を伏せて盛大に泣き声をあげました。
夫の借金発覚は、実は今回が初めてではなかったため、私は冷めた目でその様子を眺めていました。
これからどうしよう?
まず真っ先に考えたのは息子のことでした。息子は中学2年生。高校、大学と、これからどんどんお金がかかります。
家計のやり繰りと私のパート代とで数年かけてコツコツ貯めていた貯金が、ようやく150万ほどになったところでした。そのお金はもちろん、息子の教育資金に使うつもりでした。
泣きじゃくる夫を見ながら『離婚』の2文字が思い浮かびますが、「もう死ぬしかない」との言葉に嘘はなさそうに感じられました。こんな人でも息子の父親です。それに、死なれては寝覚めも悪くなります。
とりあえず、借金を返さなければ──。
この時、もっと別の決断をしていれば、と後に何万回も後悔しました。
やっぱりこの時点で別れていれば、借金の返済を手助けなんてしなければ、そもそも体調を気遣って耳を傾けてさえいなければ…。
後悔がとめどなく私の精神を苛むことになりますが、この時の私には突如として立ちはだかった『借金』という壁を、とにかく何とかしなければ、という思いしか生まれて来なかったのです。
その日のうちに、150万円の貯金を全額返済に充てました。
ですが、夫が借りていたのは消費者金融5社からの、それぞれ100万円ずつ。その時完済出来たのは、そのうちのわずか1社のみでした。
息子が学校から帰って来ると、夫は息子の前でも、泣きながら土下座して謝りました。
「俺は、もう死んだものだと思ってる。お前達の為に、死んだつもりで泥をすすってでも生きていく」
そうして、「ごめん、ごめんな…」と泣き崩れる夫を、息子がそっと抱き締めて「大丈夫だよ、泣かないで」と慰めていました。
なんて優しい子なんだろう。
我が子を見て感動を覚えると同時に、私の胸中には薄ら寒い風が吹き抜けていきました。
息子が父親を許してしまった。
ならば私も、それに従うしか道がないのです。
夫がいつの間にか作っていた借金。
一体何に使って出来た借金なのか、納得のいく説明すらないままに、その借金の返済に協力する流れが、いつの間にか出来上がっていました。
それでも、夫が言うように本当に『もう死んだものと思って、心を入れ替え頑張って』いってくれるのならば、それに耐えうる事が出来るだろうと私は思いました。
どんなに苦しくとも、貧しくとも、縁あり一緒になった夫なのだから。私はそれを支えるために、可能な限りの事をするべきなのだと思いました。
借金を返そう。
そして今度こそ、ささやかながらも本当に幸せな家庭を築こう。
ですが。
その決断が、地獄の日々の始まりだったのです。