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私がバイクに出逢うまで~その2

家族会議は幾度となく開かれました。

 

借金は残り350万円。

消費者金融会社は4社にもなります。利息分も考えると、もっと払わなければなりません。

 

 

まず最初に議題に上がったのが、債務整理でした。

借金を一本化し月々の返済額を減らしていけば返済も楽になるのではないでしょうか。

ですが、この案に夫は猛反対でした。

「それをやってしまったら、何かで入り用になった時にお金が借りられなくなる。この先何があるか分からないし、俺が借金できなくなるのは困るだろう?」

これには私も黙るしかありませんでした。

なにせ、貯金額の全てを借金の返済に費やしてしまったのです。身内の不幸や家族の急病等、急に入り用になった時、一切対処出来なくなるのは確かに不安でした。

 

 

そうなると、4社350万円の借金のまま、利息分含めて返していかなければなりません。

 

 

自分達の親兄弟に相談してみるのはどうか、せめてタロウの学費の事だけでも、と提案しましたが、それも却下されます。

「親族に相談するのは、余計な心配をかけてしまうからダメ」だと。更に、「俺ら家族の問題なんだから、親族は関係ない」とまで言い切られました。

 

夫が勝手に作った借金なのに、いつの間にか『俺ら家族の問題』となっているようでした。

夫から強く口止めされた事もあり、私は自分の親兄弟にも相談させてもらえず、長らく苦しむことになります。

出来れば、夫自身が自分の親兄弟に頭を下げてお金を工面してもらいたかったのですが、それも絶対に嫌だと言われました。自分に借金があることすら伝えるつもりはないようでした。

 

 

夫は正社員で、私はパートタイム勤務です。

本当は夫自身から仕事を増やしてもっと稼いできてもらいたかったのですが、夫の会社は兼業を禁止しており、土日祝日固定休、残業なしの定時で上がる会社です。

それ自体はホワイト企業で有難いのですが、そんな勤務形態のため、夫の収入アップは望むべくもありません。

 

そうなると、私が収入アップをはかるしか手はありませんでした。

パート先上司に面談を希望し、「家庭の事情で申し訳ないのですが」と前置きした上で、状況を話します。そして、もっと働かせて欲しいと希望を伝えました。

上司は顎に手をやり一考した後、

「分かりました。では、なるべく多く仕事をやってもらいます」

と、仕事を優先的に回してもらえるようになりました。

幸い私のパート先は売上状況がよく、仕事量も増えていたため人手は常に不足状態でした。ゆったり働きたいと主張するパートさんが多い中、私からの希望は渡りに船だったようです。

残業だけでなく、土曜や祝日の休日出勤も積極的に引き受けることになります。

 

 

夫の収入は手取りで月20万で、私のパート代は月十数万です。

私が両者の収入をやり繰りして借金の返済や生活費の捻出をしていくべきなのでしょうが…。

 

 

私はもう、疲れていました。

 

 

夫は結婚当初から、月に2万円しか生活費を渡さず、いくら訴えても給料明細すら見せてくれませんでした。

結婚2ヶ月でタロウを妊娠した時、それを告げると、顔をしかめて「お金ないよ」と言われました。

私は産みたい一心で、産ませて欲しい、お金はかけさせないからとまで懇願してしまったのです。結婚しているというのに、子供を産むことを夫から許可してもらうという、おかしな形でした。

 

その為、妊娠中にかかる健診代や出産費用は私の独身時代の貯金をはたきました。それでも足りなかった分は、私の母に相談して実家から20万円用立ててもらったのです。

出産後、出産一時金として自治体から30万円が支給された筈ですが、それを手にした夫はあっという間に使い果たしてしまいました。

せめて実家に20万円返したいと伝えたのですが、「親なんだから返さなくていい」と言い切られ、返させてはもらえませんでした。

 

更には。

産院から戻ると、私宛に届いた、私の親族友人達からの出産祝いの御祝儀袋が、勝手に開封されていました。もちろん中身は空っぽです。

なんで持っていったのかと聞いても、生活費なんだから仕方ないだろと怒られます。いくら入っていたのか教えて欲しい、せめていただいたお返しがしたいと伝えても、「身内や友人なんだから、お返しなんてものは必要ない」と頑なに拒まれ、出産直後の衰弱もあり、その件は有耶無耶になってしまいました。

勿論、出産祝いを包んでくれた身内や友人とは、それっきり、疎遠になってしまいました。

 

 

月2万円での生活費のやり繰り、給与明細すら見せてもらえない生活。

夫に何度となく訴えましたし、別れ話だって数え切れないほど切り出しました。その都度「お前がいなくなったら死ぬしかない」と泣いて懇願され、なのに給料明細を見せることは頑なに拒まれ続けます。私のやり繰りが下手だから、月2万円で足りなくなるのだとまで言われました。

私は、実態のない火の中で生活しているようなものでした。

 

 

2007年9月21日。

2歳のタロウを抱え、実家に逃げ帰りました。

たまらず姉に相談したのです。実情を聞いた姉は驚き、泣いて心配してくれ、私とタロウを実家に逃がしてくれました。

両親は、私とタロウがあまりにみすぼらしい格好なことに愕然としました。

実家に迎えに来た夫は泣いて謝り、これからは収入を明らかにし家計を任せる。俺は生まれ変わったつもりで頑張る。だから戻って来て欲しい、と土下座しました。

夫は、自分の給料があまりにも少ないことを恥ずかしく思い、今まで私にも明かせなかったのだと説明します。

「それなら、許してあげたらどうだい」

父からの後押しもありました。

私達はまだ若いのだから、価値観の相違や過ちもある。そこを認め合い、支え合っていくのが夫婦というものだ、と諭されました。

 

では、今後は毎月給料明細を見せ、お金の管理は私に任せて欲しいと言うと、夫はすぐさま快諾します。

ならばと、もう一度信じて夫の元に戻ることにしたのです。

 

 

ところが。実家から戻ると、実は借金があって首が回らなくなっていたからやむなくそうしていたんだと告白されました。

許し、実家から戻ってきたこのタイミングで私は初めて、夫の借金を知ることになったのです。

借金の総額は30万円。

家中の売れるものを売り、家計をやり繰りして借金を完済し、ようやく普通の家庭が築いていける、と安堵したものでした。

 

 

この時のこの決断も、後に何億回も後悔することになります。この時点で別れていれば、私はまだ20代でした。タロウを抱えたままだとしても、いくらでも人生をやり直せた筈でした。

 

ですが、当時まだ幼い息子から父親を奪うことはやはりどうしても出来ませんでした。

それに、実家の両親の前で夫との再構築を決意してしまった手前、自身の幸せな家庭を築いていくしかないと追い込まれてもいました。

生涯の伴侶として選んだ夫を、信じ、支えていくのが妻としての責務なのだと諭されたので、それを遂行していくしか道がないと思ったのです。

 

 

それからこれまでの12年間、夫の給料が入る預金口座を管理し、家計のやり繰りを続けていました。

夫の同僚が出世していく中、夫はなかなか昇給せず、苦しく感じましたが「私が上手くやり繰りすればいいのだから」と思い、不満を抱くことなく黙々と節約していきました。

タロウが大きくなると、私もパートに出られるようになりました。少しずつ貯金も出来るようになります。

生活に余裕はありませんでした。でも、頑張っていけばいつかきっと幸せになれる、そう信じていました。

 

 

 

そう思っていた矢先の、借金発覚でした。

しかも、今回は金額も跳ね上がり、借金総額は500万円です。

 

私のやり繰りが徒労に終わったことを、失意と共に実感しました。

この数年、必死に節約し、パート代を細々と貯めた貯金が、一瞬でよく分からない借金の返済に消えてしまいました。

 

 

これから先は借金の返済まで考慮しながら、また私がやり繰りしなければいけないのでしょうか?

考えただけでうんざりします。

「私はもう疲れた」

夫に言いました。

「借金は、自分の責任で自分で返して。その分、その期間にかかる生活費は私が出すから」

分かった、と夫が頷きます。

 

 

夫の手取り20万のうち、14万円を借金返済に充ててもらいます。食費は夫から出してもらい、それ以外の生活費は全て私が支払うことになりました。

それだけの額を返済に充てれば、一年半で完済出来る計算だ、と夫自身が言ったのです。

 

 

『自分の借金は自分で返済』

ですが、この発想は夫の中でいつしか『自分の給料は自分で使える』に変換していってしまったのです。