シフトアップのその先へ

最高の相棒と、どんな道も、どこまでも

私がバイクに出逢うまで~その4

ゲームで、無敵モードという状態があります。ゲームキャラクターが、特定のアイテムを手に入れることで短時間、無敵になれるモードのことです。

 

この時の私が、まさにそんな状態でした。

セローを手に入れた私は、まさに水を得た魚。

気力体力が無限に湧き出て来る感覚でした。

 

たとえ夜中の何時に眠りに就こうと、朝5時にはスッキリと目覚め、ジョギングをしてシャワーを浴び、家族分のお弁当と朝ごはんの用意をします。

仕事は朝8時から、残業して夜の20時まで。帰ってから掃除と洗濯をします。休日の土曜、祝日も全て休日出勤をしていました。

身体も軽く、頭も冴えています。

職場の人達から、

「私さんは本当に働き者ねぇ。その体力が羨ましいわ」

と感心されてしまうほどで、実際私は疲れもダルさも一切感じていませんでした。

仕事と家事とでびっちり埋まっている中、唯一休める筈の日曜日に私は、セローで狂ったようにどこまでもどこまでも走り続けました。

 

私はあらゆる悩みを克服したんだ。

私の精神はこんなにも強靭でストレス耐性が強かったんだ!

と内心嬉しく感じていましたし、自分が誇らしくもありました。そして、この状態がずっと続いてくれるものなのだと信じていました。

 

 

「あの…ちうさん、大丈夫ですか?」

だからこの時、セローに乗り始めて5ヶ月目、まだ会うのは3回目のヨシさんから唐突にそう聞かれ、ただキョトンとしてしまったのです。

それは桜の散り始める4月の事でした。ヒラヒラ舞い落りる桜の花びらを目で追うと、

「何がですか?」

と聞き返します。

「いえあの、旦那さんのこととか…」

「あぁ…」

私が『主婦』ライダーとして発信しているからでしょう。

確かに、一介の主婦にしてはバイクに時間を使い過ぎています。旦那さんとの関係は大丈夫なのかと、ヨシさんが心配になるのも無理はありません。

この時はそう思っていました。

「大丈夫ですよ。うちの旦那は…うちは、そういうんじゃないんです」

 

この頃になると夫は、借金を抱えたままにも関わらず、一着何万円もするようなブランド服を身に着け、これまた何万円もするバックを携えて出歩くようになりました。勿論、それらは全て借金発覚後に購入した物です。

飲酒もスポーツ観戦も相変わらずです。

借金の明細はおろか、給料明細すら見せてくれなくなりましたが、それも気にしないようにしていました。

もはや、「お金は大丈夫なの?」とも「返済はちゃんと出来てるの?」とも聞かなくなりました。聞く度に不機嫌になられ、何時間も謂れのない説教を受けるのが面倒になったからです。

 

いいよ。あなたが好きな事をしているのなら、私だって好きな事をやってやる。

 

そう思うようになりました。

生活費を出し合い、家事を分担した上でお互いに好きなようにしている。それはそれで、私達夫婦は上手くいっているのだろうとさえ思っていました。

 

 

ですがこの時ヨシさんから込められた「大丈夫?」という問いかけは、もっと深く、広範囲にわたる意味合いが強かったのです。

後にヨシさんがこう語ります。

「だって、あの時のちうさん、目がギラギラしてたもん。明らかにやつれてるのに疲れも感じてないみたいだったし。なんだか…すごく無理を重ねてるんじゃないかと思った」

 

この時の私を正確に見抜いてくれた唯一の人でしたが、当時私がこのセリフを言われても、「何を馬鹿なことを」と思うばかりだったでしょう。

平日は仕事が楽しく、休日はバイクに乗れるのが本当に嬉しかったのです。

私は充実していました。

その後、ヨシさんとは何回もツーリングを重ねました。どのツーリングも、いつも心の底から楽しく、どこへ走りに行っても新鮮な感動と驚きに満ちていました。

世界はこんなにも素敵なんだ、と嬉しく感じました。

 

 

ですが。

 

 

「また、そんな顔をする」

ヨシさんが困ったような、辛そうな顔でそう言って来ました。

辺りは陽が沈み、ほんのりと明るい水平線の彼方から夕闇が迫って来ています。

もう、家に帰らなければいけない時刻です。

そう考えると、さっきまでの楽しかった時間が嘘のように、心に鉛がぶら下がったように重くなりました。

「うん帰らなきゃ、ね。…帰ろう」

帰りたくない。

ツーリングの帰り際に、気持ちが沈み込むようになりました。

 

そうか。帰るのが辛いなら、泊まりのツーリングに出掛ければいいんだ!

そう思いつき、遠出して泊まりがけのツーリングも企画するようになりました。確かに、泊まりのツーリングでしたら日が沈んでも気持ちが塞ぎ込みませんでした。

泊まりだと遠くまで走れますし、これはいい発想だ、と自分でも思いました。

それでも、当たり前ですがツーリングであるからには、いつかは帰らなければいけないのです。

 

高速道路から、自宅近くのゴミ焼却場の長い長い煙突が見えただけで、涙が溢れ出て来るようになりました。もう自宅近くまで帰って来てしまったのか、と。

帰りたくない。

帰りたくない…!

でも、どうすることも出来ません。

 

 

この頃になると、否が応でも自覚することになりました。

私は『現実逃避』でバイクに乗っていたのだと。

 

 

「別れなさいよ! そんな旦那、さっさと別れた方がいいよ」

女友達との飲み会で、話を聞いた友人の一人がそう言うや、グイッとジョッキのビールを飲み干しました。その隣の友人も、うんうんと深く同意するように頷きます。

友人は、「まったく、何そのクソ旦那!」と尚も憤っていました。

「でも、離婚ともなると息子が…」

私はパートタイム勤務です。離婚となれば当然、正社員の夫が親権を持つことになるのでしょうし、そうなると息子とは離れて暮らさなければなりません。

そうなったら私は、唯一の生き甲斐すらをも失うことになります。

『離婚』は、イコールして『息子との離別』を意味しました。

そしてそれは、私にとっては到底耐えられないことだったのです。

「あのさ。離婚して離れたからって、子供との関係が終わるわけじゃないよ?」

「え?」

離婚歴のある友人が、私の顔を覗き込みながら言いました。

「親として、別の関わり方が出来るだけだよ。まずは私さんがどうしたいかじゃない?」

 

私がどうしたいか。

夫との関係を断ち切る事が出来るならば、すぐにでもそうしたいという思いが湧き上がってきました。

でも息子の事を考えると、そこで迷いが生じてしまいます。

 

 

「息子さんに相談してみるのはどうだろう?」

ツーリング先のカフェで、ハンバーガーを齧りながら、ヨシさんがそう言ってきました。

「え、息子に?」

「だって息子さん、もう高校生なんでしょう? 大人の話もだいぶ理解出来ると思うよ」

それは思いもよらない発想でした。

私は思案を巡らせます。

借金発覚直後に何度も繰り広げられた家族会議により、息子はある程度の事情は知っている筈です。

「いやぁ、でも。それはどうかなぁ…?」

夫は散財して遊び歩くようになり、私は私で休日にバイクを乗り回している状態です。正直、息子は長いこと蚊帳の外に置かれていました。

 

息子は最低限の挨拶だけして、お風呂とご飯の時以外は部屋にこもりきりです。話しかけても、耳にワイヤレスイヤホンが入ったまま返事がない事も多々ありました。

部屋の中での息子が、勉強しているのかゲームしているのか、はたまた配信動画を視聴しているのか、それを確かめようとすらしてきませんでした。

 

呆れているんだ、と思っていました。

借金を重ねて遊び歩く横柄な父親のことも、そんな家庭からくるりと背を向け、バイクで走り回る母親のことも。

息子はきっと、夫のことも私のことも軽蔑している。そう思っていました。

 

「でも、息子さんも家族の一員なわけだし。発言する権利も、何かを選び判断する資格もあると思うよ」

それでも逡巡する私にヨシさんが、

「とにかく、息子さんの意見を聞くだけ聞いてみなよ。その上で判断したらいいよ」

 

 

ヨシさんのこの提案が、この後の大きな分岐点となりました。