構築は、大変な労力と信頼関係を要するものですが、崩壊はあっという間なのかもしれません。
どこからが、そしていつからが崩壊の始まりだったのか、それは今でも分かりません。
でも思い返せば、その予兆はそこかしこにあり、そして気付いた頃にはあっけなく音を立てて崩れ始めていたのでした。
たとえばある日。
朝5時に起きて家事をし、仕事に行って残業を終え21時過ぎに家に帰ると、定時で帰っている夫が、寝転がりテレビを見たまま、「飯はまだか?」とウンザリしたように聞いてきます。
疲労から、座り込んで抗議すると、
「じゃあどうしろってんだよ? 俺に三つ指ついて丁寧にお出迎えしろってのか!」
と怒鳴られました。
そうではなく、私の労働時間が長くなったのだから、帰ってからご飯を作るのは難しいのだと説明しました。
渋々ながら、夫が夕飯作りを担当することで話がつきました。
ですがこれにより、「俺は妻より家事をする偉い男なんだ」と自分を高評価するようになったのです。
毎月14万円ずつきちんと返済している証左として、返済の明細書を、毎月きちんと見せること、という取り決めもしていました。ですが、それはたったの1回しか守られませんでした。
借金発覚のわずか2ヶ月後、明細を見せてと促しても「捨ててしまった」と返してきます。
「ちゃんと14万返したの?」
「は? 返したよ」
じゃあ、来月は捨てずに必ず見せてね、とその場はそれで終わりました。
ところが、その翌月になっても見せてくれません。それを強く言うと、
「どうせお前なんかが見たって数字苦手なんだから分かんねぇだろ!」
と怒鳴られました。
それ以降も、どんなに言っても返済の明細を見せてくれることはありませんでした。
またある時は。
夫が一本の缶ビールを買って来ました。
「そんなお金どこにあるの?」
食費以外の全てを借金返済に充てている筈です。食費だって切り詰めなければいけません。なので、お酒なんて買う余裕はない筈なのです。
「いや、安かったから…」
夫はゴニョゴニョと言い訳じみたセリフを口にし、プルタブを開けると喉を鳴らして飲み始めました。
モヤモヤするものを抱えながらも、「まぁ一本くらい、仕方ないか」と私は思うようにしました。
ところが、お酒の量は次第に増えていきました。
最初はショート缶だったものがロング缶に変わり、本数も1本だったのが2本3本と増え、やがて度数の高いお酒に移行していきました。
お金は大丈夫なのかとその都度聞きますが、苛立ちながら「大丈夫だよ、これくらい」と返されるだけでした。
更には。
夫はスポーツ観戦が好きでした。
特に野球とバスケットボールの観戦が好きで、多い時には週に2~3回は会場に足を運び、観戦を楽しんでいました。観戦しながらお酒を飲み、試合終了後は打ち上げと称して仲間と飲んでくることも珍しくありませんでした。応援グッズやサインボールも惜しみなく買っていましたし、泊まりがけで遠方に応援に行くこともありました。
ですが当然ながら、借金発覚後はそんな余裕はなくなったので、観戦するなら家のテレビで我慢してねと言ってありました。
ところが2ヶ月もすると、チケットをタダでもらったから、と言い訳がましく出かけるようになり、更に数ヶ月もすると、堂々と応援ユニフォームとグッズを身に着け、嬉々として出かけて行くようになりました。
それでも、自分の給料から借金をきちんと返しているのだろうと私は信じていました。多額の借金を抱え、死ぬしかないとまで思い詰めた人なのだから、さすがに心を入れ替えただろう、と。
タロウに対しても、父親として最低限度の責任感は持っているものと思っていました。
ですが、今思えば夫はこの時点で既に、借金を真面目に返す気持ちなどなくなっていたのでしょう。
それどころか、借金発覚を契機に、自分の給料が全額自分で使えるという状況に舞い上がってしまったようでした。
なんせ、借金を完済するまでの生活費は、妻である私が全額出してくれるのですから。夫にとっては理想的な状況だったのです。
夫は土日祝日の仕事が休みですが、私は土曜日も祝日もパートに出なければなりません。休みは日曜日の一日だけです。
当然、心身共に疲弊していきました。
それもこれも、借金を完済するまでの辛抱だと歯を食いしばりました。夫の言う通りなら、たった一年半で完済出来るのですから。そう長い苦労ではないはずです。
でも、そうやって頑張ろうとする私の決意を鈍らせるのは、いつだって夫自身の横柄な態度なのでした。
借金をした後ろめたさからでしょうか。
はたまた借金発覚により、夫や父としての威厳を損なうことを恐れたからでしょうか。
些細なことで怒鳴り声をあげるようになり、威張り散らし、物や壁を叩くようになり、やがて私やタロウに暴力を振るうようにまでなりました。
お酒を飲んでは絡み、言いがかりをつけては説き伏せ、屈服しなければ夜中の2時3時まででも説教が続きます。疲労と睡眠不足でフラフラした頭で、納得出来ないながらも私は謝罪の言葉を口にするのでした。
こうなってくると、パート時間が長いのが幸いしてきます。
家にいるのが辛くなってきたのです。
そうして段々、生きている意味すら見失っていきました。
パート帰りの夕闇を見つめながら、私は今、何故生きているんだろう?と大真面目に考えていました。
タロウを育てるため、と自分に言い聞かせます。
タロウは私の宝です。命に替えても守り、育てたいという思いに相違はありません。
だけど、タロウを育て終わったら?
私は、あの人と二人で老後を迎えるのでしょうか。
そこまで考え、ゾッとします。老後まで生きている自分も、まして夫と二人きりで生活していく様も、今の私には想像がつかなかったのです。
Sさんと知り合ったのはそんな時でした。
一緒にご飯を食べる友達が欲しいとSNSで繋がり、近場のお店でご一緒することになりました。
その頃には、夕飯を家で食べることすら苦痛になっていたのです。
Sさんとは最初、他愛もない世間話を交わしていましたが、段々とお互いの趣味の話になりました。
「ちうさん、バイクはいいですよ」
「う~ん、バイクかぁ…」
今ひとつピンと来ない私は、気のない反応を返します。
「この前、こういう所に行ったんですけど…」
とSさんが写真を見せながら説明してくれます。綺麗な所でした。
「へぇ~。電車やバスならどうやって行くんだろう?」
ちょっと興味を抱いたのです。気晴らしに、こういう所へ行くのも悪くないかなと思いました。
「あ、2ケツで良ければ後ろ乗せますよ」
「え、ホント?」
「まぁ、狭いかもしれませんが」
「いい、いい。ありがとう、めっちゃ楽しみ!」
タンデムシートに乗り、バイクを走らせてもらいました。
バイクはなんて自由なんだろう、と思いました。
バスや電車の路線図に縛られることなく、行きたい所にスイスイ行けます。
かつては車を所有することを夢見ていましたが、それは一生叶わないのだと諦めていたところでした。
でも、バイクなら…。
人生で何一つ築けず、何一つ手に入らず、失望続きの連続でした。ならば、一つくらいは好きな事をさせてもらおうと思いました。
私は生活費を捻出しながらパート代を貯め、安価なバイクならばなんとか買えそうだと、算段がつきました。維持費も何とかなりそうです。
教習所に通い、二輪免許を取得するや、その足でバイク屋に向かいセローを購入します。
私の、生涯初めての大きな買い物でした。
セローに跨り、外の風を感じ、森林の匂いをかぎ、川のせせらぎを耳にしながら、爽快に走り抜けていきました。
全身をしとどに濡らす雨粒や、ヘルメットのシールドに張り付く小さな羽虫達、容赦なく照りつける真夏の陽光ですら、感じるもの一つ一つが愛おしくなりました。
あぁ、私はまだ生きているんだ、と実感出来たのです。
ですがその感覚は、決して純粋なものだけではなかったのです。