離婚調停というものは、夫と妻、それぞれが時間を分けて調停員に話を聞いてもらう形なので、実際に夫婦が言葉を交わす必要はないのだそうです。
弁護士さんからそれを聞いた時には、私は心底ホッとしたものです。
もう、あの人の訳の分からない言い分を直接聞かなくていいし、顔を合わせなくてもいいんだ、と思うと気が楽になりました。
でも、その認識は間違っていました。夫とのやり取りは、やり続けなればいけないことに変わりなかったのです。
私の弁護士が夫に対し、『長年に渡る経済的DVによる夫婦関係の破綻』を理由に離婚を言い渡し、それに応じるよう夫に書面を送った数日後。
夫の代理人弁護士と名乗る方から書面が届き、その内容に愕然とします。
『経済的DVなどという事実はなかった。自分が借金をしたのは仕事のストレスのせいだったので、やむを得ない事だった。むしろ、オフロードバイクを購入した妻の方こそが浪費家である』と。
他にも、休日に私がバイクを乗り回していたことこそ、私が家庭を省みなかった証左である、とも書かれてありました。
私がいかに妻としても母としても失格だったか、その書面にはつらつらと書き連ねてありました。
私の弁護士さんは、相手は強気でこういう事を言ってくるものなんですよ。あまり気にしないで下さい、と言ってくれました。
夫は内緒で500万円の借金をしたのに対し、私のセローは60万円です。
しかもバイクの購入は事前に夫から了承も得ていましたし、その支払いも自分のパート代から捻出し、既に支払いも終わっています。私は生活費も工面しながらだったので、家計も逼迫させていません。
夫とは使った金額も状況も全然違いますし、そもそも借金が『仕事のストレス』というのも、正当な理由としては認められないと思いますよ、と諭してくれました。
ですが、ただでさえ弱っていた私の精神は、ここで大きなダメージを受けたのです。
なんせ、バイクを買ったのは逃れようのない事実なのです。私にとって、いえ当時の我が家にとって、それは大きな買い物で、紛うことなき『贅沢品』でした。
そして、私がそれを休日に乗り回していた事も、家庭から遠ざかっていた事も事実なのです。
夫の借金という辛い現実から逃れる為に、それは必要な行為でした。
ですが、それをよりにもよって、私を追い込んだ夫本人の口からこのような形で指摘されたのです。夫は、反省どころかこれ以上ないくらいの反撃をし返してきたのでした。負傷した傷口から、皮膚を抉り取られるほどの強烈な痛みを感じる思いでした。
カバーの掛けられたセローを眺めるたび、これさえ買わなければ、と厭わしく思うようにまでなりました。
私がバイクを買ったせいで、相手に格好の攻撃材料を与えてしまった。
借金をされても、暴言を吐かれながらでも、それにじっと耐え、ひたすら働き黙々とお金を差し出す貞淑な妻でさえい続けていれば、あるいはすんなり離婚に応じてくれたかもしれないのに、と。
そう思うと悔しくて歯がゆくて仕方がありませんでした。
協議離婚は破綻となり、予定通り調停離婚の申し立てをしました。
体調を崩して休職する事になったのはその頃です。
一ヶ月間の休職期間中、ひたすら身体を治すことに専念しようとしました。
ですが。
風邪ならばあたたかくして滋養のあるものを摂取すれば快癒します。骨折ならばその箇所を固定し、安静にしていれば骨が接ぎます。
でも、精神の病はどうすることが正解なのでしょうか。
処方された薬の効能で、よく眠れるようにはなりました。これまで眠れなかった反動なのか、昼も夜もなく眠くなり、私は身体が欲するがまま睡眠を貪るようになりました。
薬のせいなのか、常にボーッとしています。
果たして自分が快方に向かっているのか、何も変わっていないのか、それすらも判断出来ませんでした。少なくとも、楽になったという実感は特にありませんでした。
とにかく、この一ヶ月間の休職期間中になんとしてでも治さなければ、と焦ってばかりいました。
休みが一ヶ月間もある、と聞くと、とても長く贅沢な事のように思えます。
ですが病気療養での一ヶ月など、あっという間のことでした。バカンスとは違うのです。
私は自分の病状が良くなったのかどうかも分からないまま、仕事に復帰することになりました。
「休ませていただきありがとうございました。これから頑張ります」
職場の方々一人一人に挨拶をして回ります。
「気にしないで。これからも無理せずやっていきましょう」
上司も、肩を叩いてそう言ってくれました。
「はい」
と元気に応えます。
とにかく、今は仕事を頑張らなければ。
自分を追い込むようにそう考えていました。
まだ離婚が成立していなかったこの頃の私にとって、とにかく一番恐ろしかったのは、息子の親権が夫に取られてしまう事でした。
息子は私に、「一緒に頑張ろう」と言って出て来てくれたのです。
ここで私が頑張らないでどうする、と思いました。
息子との生活のため、せっかく就けた正社員の仕事なのです。ここで失う訳にはいきません。
この時はただ、そればかりを考えていました。