『タロウと共に家を出てからは、幸せに幸せに毎日を過ごしていきました』
と、ここで書く事が出来ればどんなに良かったかと思います。
ですが、現実はそう甘くはありませんでした。
タロウとの生活の為にも、まずは仕事を頑張ろうと張り切りました。
私を雇ってくれたのは街の小さな製造工場で、一人二台のプレス機を担当して工業製品を製造していきます。
それは過酷な労働環境で、私以外の社員は全てが男性でした。
「女だけれど、体力には自信があります! どんな仕事でもやっていくつもりです」
と面接でアピールし、そこを見込んで採用していただいたのです。
私は女であることに甘えることなく、仕事内容を必死に覚え、可能な限り仕事の効率を良くし、生産量を上げていきました。
毎日率先して無給で早出出勤し、プレス機のメンテナンスも欠かさずします。もちろん定時後も毎日残業です。
私に仕事を教えてくれる直属の上司も仕事ぶりを認めてくださり、現場に視察に来た社長に、
「彼女凄いんですよ」
と自慢げに褒めてくださいました。
フォークリフトの操作も覚え、重量のあるプレス機の金型交換も一人で出来るようにまでなりました。
ヘトヘトで帰宅すると、先に帰っていたタロウが夕飯を作ってお風呂を沸かしてくれています。
あたたかい浴槽に浸かりながら、あぁ、これが幸せというものなんだろうなぁ、としみじみ感じたものでした。
生活に余裕はありません。
けれど大切な存在が傍にいてくれ、理不尽な怒鳴り声も、よく分からないマイナスの財産に怯える心配も、もうありません。
これからは落ち着いた生活が送っていける。そう思っていました。
ですが。
まず最初に出てきた違和感が、睡眠でした。
仕事後、身体がヘトヘトに疲れて脳も眠りを欲しているというのに、布団に入っても中々眠りにつけません。
どうしよう? 寝て休まないと明日も仕事なのに。焦れば焦るほど睡眠は遠のき、目を固く閉じたまま眠らなきゃ、眠らなきゃと気が昂るばかりでした。
朝までほとんど睡眠の取れない状態のまま、翌日の仕事に出勤しなければならない日が続きました。
それでも、ちょっと気が張ってるんだろう、数日もしたら落ち着くだろうと、あまり深くは考えませんでした。
お腹の調子も悪くなりました。
毎日何度もトイレに行かなければいけないほどの下痢を繰り返します。
最初は食べ物にでも当たったのかな?程度に軽く考えていましたが、それが数週間、数ヶ月と続いたのです。
そして。
「それだけしか食べないの?」
食事中、タロウが心配そうに顔を覗き込んできます。
肉体労働に従事しているというのに、全くと言っていいほど食欲が湧きませんでした。
心配をかけまいと、出された食事を口に運んで咀嚼してみるも、飲み込む段階で体内の臓器がそれを拒むかのようにせり上げてきます。
思わず口に手を当てて無理矢理にでも嚥下しました。ですが、それ以上食べるのは無理そうでした。
私は食事を『苦痛』だと感じるようになっていました。
「作ってくれたのにごめんね…。今日は…ちょっと食欲がないみたいで」
笑いながら言うと、タロウは心配そうな表情のまま頷きました。
仕事を頑張らなきゃ。
タロウとの生活がかかっているんだから。私は、あの人と別れて、自立した女性として生きていくんだから。
そう思えば思うほど、焦りが生じて空回りしてしまいました。
仕事中に上司から叱責されると、トイレに駆け込み嘔吐してしまいます。私がそんな軟弱なメンタルなわけないのに、と悔しく感じました。
訳も分からず涙が溢れて止まらなくなることもあり、かと思うと、それまで興味を持っていた物には全くといっていいほど心動かされなくなりました。
バイクもそのうちの一つです。
休日になっても、カバーをかけたままのセローを無為に眺め、すん、と気持ちが萎えていました。
あれだけ楽しんでいたというのに、走りたいとも跨りたいとも思えなくなりました。
趣味の読書でも、文字を追っても目が滑るばかりで内容が全く頭に入って来ません。
やがて休日は何をするでもなく日がな一日、ボーッと過ごすようになりました。
──これはおかしい。
さすがにそう思い始めました。
私の中で、得体の知れない何かが起きているのではないか。私自身にも把握出来ていない、何かが。
でも、だからどうしろと言うのだろう、とも思います。
現状は変わりません。タロウとの生活を支えなければいけませんし、どんな状況であれ仕事は頑張らなければいけません。
「病院に行こう」
ちょくちょく様子を見に来てくれていたヨシさんが、そう私を促しました。
「でも、仕事が…」
「仕事出来る状態じゃないでしょ」
泣きながら首を振る私を、ヨシさんが諭すように説得しました。
「とりあえず、悪いところがあるんだったら治さないと。無理を重ねてもいい事ないよ」
ヨシさんが近隣の心療内科に初診の問い合わをしてくれている様を、望洋と眺めていました。
会社に欠勤の連絡をした時には、悔しさと焦燥感とでまた涙が溢れ出ました。
心療内科の先生は、じっくりと私の話を聞いてくれました。
私は全てを話しました。夫とのこと、子供のこと、仕事のこと。
先生は、
「長年の結婚生活の疲れが出たのかもしれませんね」
と言い、一ヶ月間の休職を提案してきました。
専門家であるお医者様がそうした方がいいと判断したならば、それに従おうと思いました。
ヨシさんの言う通り、無理を重ねても悪くなるばかりです。
処方されたお薬を飲み、休養を取ってちゃんと治そう。
職場に、医師からの診断書と一ヶ月間の休職勧告の用紙を提出すると、
「分かりました。とりあえず今は休んで、じっくり身体を癒してください」
と快く認めてくれました。その事にホッとします。
ああ、私は病気だったんだ。
会社を休む事にはなったけれど、じっくり休んできちんと治せばきっと良くなってまた働ける。
そう思い、安堵したのです。
ですが、事はそんな単純なものではなかったのです。